菩廼寺の紅雪 概要
亜寡町の外れにある
葛篭村という小さな農村に、梅の名所として知られる菩廼寺がある。
この菩廼寺の梅の花は白い花びらの真ん中に赤い筋が通っている事から
紅雪と呼ばれ、
春になると参道を埋め尽くすように咲き乱れるのだった。
葛篭村には、
弥吉(やきち)と
香代(かよ)という非常に仲の良い夫婦が住んでいた。
弥吉は非常に心優しい男で、香代もまた献身的で貞節な女性であった為、
決して裕福とは言えない暮らしではあったが、幸せな日々を過ごしていた。
そして二人は春になると必ずこの菩廼寺に咲き乱れる紅雪を見に参道に訪れ、
ここでゆっくりとした時間を過ごす事を毎年の楽しみにしていた。
しかし、世の中は時に非常に残酷な仕打ちを与えるもの。
ある年の暮れ、弥吉は流行り病にかかり倒れてしまった。
寝る間を惜しんでの香代の必死の看病も虚しく、弥吉の病状は悪化するばかりであった。
「もう私は長くは無いが、自分が死ねば、香代はきっと後を追って自らの命を断つだろう。」
そう危惧した弥吉は、自らの命が尽きる最後の最後に香代に言い残したのだった。
「生きろ」
それからの菩廼寺には仲良い二人の姿は無く、香代だけが訪れるようになっていた。
あれから何年の月日が経ったのだろうか。
「今年もまた、あの時と同じように菩廼寺の紅雪は咲き乱れています。
貴方が私に言い残した言葉のお陰で、私は今もここに一人でいます。
早く貴方に逢いとうございます。
あと何回、この紅雪を見れば貴方に逢えるのでしょうか。
あと何回、この紅雪が散れば良いのでしょうか。」
そうして香代は、今年もまた一人、生きる事も死ぬ事も出来ずに、
この菩廼寺に咲き乱れる紅雪をいつまでも見つめていた。
「民説物語集・菩廼寺の梅より」